偽りの契約 - 続:患者は何でも知っている
著者は,患者-医師の関係の様々な側面を取り上げ,新しい医師-患者関係の可能性を提示します。その道筋が複雑に入り組んでいるのは,現実の患者-医師関係が複雑なものだからでしょう。語られなかったものからテキストの意味を探ろうという試みを諦めさせるほど,多様な側面が語られています。
私がこの本で驚かされることは,非常に先進的と思われる新たな患者-医師関係を築こうという様々な試みが既に現実に実践され,そして英国NHS(国民保健サービス)システムの中に具体的に位置づけられようとしているということです。もちろんその事の背景として,ブリストル王立病院のスキャンダルを発端とする,荒廃したNHSに対する冷めた国民の信頼を取り戻すための,必死の改革が試みられている最中であることを忘れる訳には行かないでしょう。この改革のキーワードは,質の向上や患者中心の医療でしょう。
英国NHSは日本の医療システムとは異なり,患者による医師の選択を許さないシステムでした。その上,必要な診療を受けるまでに長く待たされ,その間に病状が変化してしまうことがしばしばであるともいわれていました。その組織は巨大な官僚組織なので,系統的な組織の改革を伴わずには,システムの改善はあり得ないわけです。良くも悪くも市場の機能の働かない世界なのです。従って,すぐさま日本の状況と重ね合わすことは出来ないといえますが,基本的な枠組みは共通しています。つまり,
1.現代における患者-医師関係の不幸
2.情報化時代における医療専門家の意味の変化
という点は現代のdeveloped countriesでは共通する課題と考えられます。
昨今の「医療事故」報道を見ると,医学が18-20世紀に築き上げた権威によって,現代の(特に若手の)医師は困難な立場に置かれて少なからず困惑しているのではと思わされることがあります。潜在的には,対等な位置関係に立ちたい(=重荷をおろしたい)という願望は医師の側に強いと想像されますが,非医師側はかえってこのことに関する関心が希薄で,あり得ないような理想の医師像を押しつけているという側面があるのかも知れません。もちろん,医学はこの権威と共にその適用範囲を広げ,影響力を強めてきた訳ですから,事は単純ではありません。この不幸な関係について,著者は「偽りの契約」と呼んで,次のように表現しています。
[患者の想い]
●近代医学は驚くべきことができる.自分の問題の多くを解決できる.
●あなた方医師は,私の内面まで見通せて,何が悪いのかを知っている.
●医師は,知る必要のあることはすべて知っている.
●医師は,私の問題については社会的な問題でさえも解決できる.
●だから.私たちは医師に高い社会的地位と高額の給与を与えている.
[医師の想い]
●近代医学には限界がある.
●さらに悪いことに,それは危険である.
●われわれには全ての問題を解決することはできない.特に社会的な問題は.
●私は何でも知っているわけではない.しかし,多くの事柄がどんなに困難なものなのかということは知っている.
●利益のあることを行うことと,害のあることを行うことのバランスをとるのは,とても微妙なことだ.
●患者を失望させたり自分の地位を失ったりしてはいけないので,何にせよ沈黙を保っているほうがいい.
私たちの状況と英国の事情は共通の問題を抱えているのだと感じさせられます。
こうした,「患者側の非現実と医師側の不正直」とでもいうべき関係を,現実に根ざし飾りのない関係に変革すべきであるというのが,どうやらこの本のテーマのようです。そして,インターネットやEBM等の情報技術がこの変化を支援できるとしています。
著者はresourceful patient(かしこい患者)という概念を強調していますが,一部の特権的な「かしこい患者」だけが医師との対等な関係に立てるという理解が成立しては困ります。そのことは,対等な関係を選択する患者に対して種々の支援の枠組みが提供されるべきであることを著者が強調していることからも明らかです。また,全ての患者に対等な関係を要求し,あるべき患者イメージを押しつけようとしていないことも強調されるべきでしょう。そして,専門家としての医師の責任が,患者の選択の名の下に全て患者に移行するということでもないということにも注意が必要でしょう。


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